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のんびりまったり徒然なるままに。
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  [ 彼女の話。 ]
2013-08-23(Fri) 11:45:40
この日記、一体なんのために書いているのだろうと思いもするが、普段自分の思いを愚痴以外に外に出すこともなかなか無いので、こうして文章を起こすというのは、考えやどうでもいいような悩みを整理したりするのに大変役立っていると思う。

そういうわけで、ミスチルなど聞きながら、最近あった最も印象深いことを書いていこうと思う。
「掌」なんて何年ぶりに聞いたか分からないが、このイントロは聞くたびに胸を鷲掴みにされるような気持ちがする。

他人との関係性なんて、大人になって話すこともないが。
今日は、せっかくの機会だから「彼女」のことを書いていこうと思う。
なかなか、ずっと日記に書こうとしてうまく書けなかったのだが、大人になって整理もついたし、もう時効だろう。
……いや、時効って言葉としてオカシイか。
でもまあ、「時効」は言葉としてしっくりくる。


こんなに他人に対する文章を書くことは、後にも先にも無いかもしれない。






先日、中学時代からの友人と会った。
「どうやら私は付き合っているらしい」
中学の頃から相も変わらず、色気のないハナシばかりしてきた彼女から出てきたその言葉に、冗談ではないほど衝撃を受けた。
そしてワタシたち大人になったんだなぁと陳腐な感想を抱くと同時に寂しくもなった。
でもきっと、大学1年生のころや、それこそ高校生のころ同じような出来事が万が一起こっていたとしたら、おそらく今とは比べ物にならないくらい寂しさが増さっていただろうから、やっぱり大人になったんだろう。


その友達は本当に面白いやつなのだ。
「やつ」という言い方は大概失礼にも思うのだが、面白い「人」という他人行儀な言い方はしっくりこないし、面白い「方」という言い方もちぐはぐで、でも「子」という年齢ではないし、私の彼女に対する信頼や敬意をこめてあえて「やつ」と呼びたい。
彼女との思い出を振り返ると、ああ色々あったなぁと思う。
私自身、中学高校時代なんておそろしく浮いたやつだったと思うが、彼女もなかなかのいわゆる「変わり者」だった。
あんな若者の街にある学校にいる「女子高生」からみたところの「変わり者」だった。


もう既に10年以上前のことが多いから、実はそんなにはっきりと覚えていることは少ない。
確かクラスは1度しかいっしょになったことが無いし、部活も途中で私がサボり始めたから、今にして思えば、一体なにでそんなに関わっていたのだろうという気もする。
おそらく実際は高校時代なんてほとんど関わっていないだろう。
彼女は部活も誠実に取り組んでいたし、私たちは文理も別だったから授業もバラバラだった。
ただ、たまにしか直接的に関わらなかで、なんとなくほおっておけないやつだったことは覚えている。
なんとなく、あやうい感じだった。
あやういっていうか、ご飯を食べていなかったり、あまりに他人に興味が無くて潔癖なものだから、なんとなく「しっかりしろよー」とお節介を焼きたくなってしまうようなやつだった。
たぶん、私のなかにもわずかにあるらしい、長女気質がほっておけなかったのだと思う。


そしてなにより面白かった。圧倒的に、考え方が面白かった。
一時期、学校でメッセンジャーがブームになり、帰宅後に勉強もせずよくやっていたものだったが、そこで彼女がたまに見せる、独特な考え方が本当に面白かった。
具体的になんの話をしていたのかなんて一切覚えてはいないけれど、ただそう思ったということだけはよく覚えている。

面白いやつだった。ちゃんとしていればとても綺麗な子でもある。
確かに高校時代はいわゆる「変わり者」だったけれど、それも含めてこの子の魅力に、なんでみんな気が付かないんだろうと思わされるような、そんなやつ。
……改めて文章に書くととても恥ずかしいな、これ。



正月ぶりに会った彼女に、「どうやら私は付き合っているようだ」なんて言われた。
この言い方が、また面白い。
普通、自分の身の上に起きていることなのに、「付き合っているようだ」なんて三人称で語らない。
でも、そのちぐはぐさが彼女らしいと思った。
そして同時に、ある出来事を思い出した。
浪人中だったか、大学に入ったばかりだったか、たぶん、そのころのことだ。
高校の卒業式ぶりくらいに会って、色々話をしていたのはいいが、なんのきっかけか「付き合うって一体どういうことなの? なんで友達じゃダメなの? なんで付き合いたいの?」と純粋に質問されたのである。
今考えればおそろしく若い話である。なんとまあこっぱずかしい話していたのか。
そうやって今なら笑い飛ばせる話も、彼女から真剣な顔して聞かれた当時の私は、ものすごく答えに困ってしまった。
その場では取り繕って何かを答えたと思うのだが、彼女はさらに「それはどうして友達じゃダメなの?」と畳みかけた。
当時の私はそれに対してますます困惑した。
何に対して自分が困っているのかすらよく分からなかったし、なんて答えたらいいのかも分からなかった。

若くて恥ずかしいほどに青臭い話ではあるが、そりゃあ当時の自分からしたら、「友達」だと思っていたやつに対して、「付き合うこと」の条件を答えたら、「なぜそれは友達じゃダメなのか?」と言われてしまえば困るだろう。
友達ではダメだと言ってしまったら、まるで友達である彼女を否定してしまうようで答えようがないよな、と今は笑い話なのだが。
それからしばらく、その問いは頭の片隅にあって、時々悩ませたくらいだから、よっぽど衝撃的な問いだったのだろう。


そんな彼女から「付き合っている」なんて単語が出てきたから、ああ、大人になったと尚更思ったのだ。
きっとあのころ純粋に尋ねてきた、そう言った問いに対する答えがそのうち見つかっていくんだろう。今はまだ分からないらしいが。
でも「付き合っている」、なんてちぐはぐな! 
そう思いもしたが、そんなものにおそらく一般化できる答えなんて無いんだろうな、と彼女を見ていてようやく気が付いた。
その相手との関係性において、お互いが一番納得し合える関係性を構築できて、そこに「付き合う」という単語を当てはめると決めたのならば、いくらいわゆる社会的に流布している「付き合う」や「恋人」という言説にそれが当てはまらなかったとしても、それはそれでいいんだろう。
「付き合う」や「好き」なんて言葉の意味は、きっとその関係性の数だけあって、その関係性を第三者に示すより適当な言葉が無いからこそ、ただその言葉を借りているだけに違いない。
なによりも、うれしそうに話す、その彼女の顔を見れただけで答えは十分だ。


そういうわけで、私のなかではずっと頭の片隅に残されていた「宿題」が、やっぱり「宿題」を出してきた彼女との会話において、ひとつの「回答」を導き出せたのである。
だから、これはひとつの「機会」であって、「時効」だった。


それともうひとつ。これはきっと、私を寂しい気持ちにさせた理由のなかのひとつだけど。
もう彼女と、こんな根本的な話をすることも無いかもしれない。
きっと次に会うときは、こんな抽象的な関係性論ではなくて、もっと具体的で現実的な話をするだろう。
だから、そういう意味でもこれはひとつの「機会」だし「時効」だ。



しかし、こうやって改めて文章を書き起こしていて思ったけど、彼女の関係性に対する考え方ってかなり繊細だし、おまけにその関係性定義に対するハードルがおそろしく高い。
ただ、それゆえに特定の関係性を定義した人に対しては本当に誠実だな。
だから信頼しているし、尊敬もしている。
そんな彼女が帰省するたびに声をかけてくれるのは有難いなと思う。


色々あったけど(特に中学生のころとか)、ずっと友達でいてくれてありがとう。
これからも、こんなどうしようもない私ですが、どうぞよろしくお願いします。
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